モノ作りって、難しいよね。
日本よ、スマートフォンをなめていないか?と繰り返す。日本よ、スマートフォンをなめていないか?が話題になっているようなので、自分なりに思ったことを書いてみる。国産Androidはどうなのよ的なお話(特にau)。@karafune さんに対する反論というより、自分だったらどう見るかというのをつらつらと。
まずはガラスマご用意しました
auの夏モデル発表は戦略的かつ誠実なものであったと思う。
「おサイフケータイ」「ワンセグ」「赤外線」と揃った所謂「ガラスマ」をきっちり用意して来たことには意味がある。docomoやSBMと違う選択肢が用意できたという戦略的な部分で。僕のように「おサイフケータイ・ワンセグ・赤外線、なくてもそんなに困りませーん。グローバルモデルかもーん!」って言う人も居れば、「無いと困る! ガラスマじゃなきゃ!」って人も居る訳なので、ガラスマな人に合わせたモデルを先行して用意したと考えればいい。
じゃあそれ以外のグローバルモデルかもーん! な人へはと言うと、ちゃんと夏モデルの発表会で「秋まで待って」と発言されている訳で。「ちゃんと準備はしていますが夏モデルには間に合いませんでした」とユーザーに伝えてる。これが夏モデルに準備が間に合わなかった中でできる、目一杯誠実な対応でしょう。これは経営レベルの判断として、社長の田中さんだからできたことかなと個人的には見ている。下手すればお客さん逃がしちゃう訳だから一社員には簡単にはできないよね。
プロダクトとして大事なこと
ケータイ・スマートフォンを一つのプロダクトとして見れば、一番大事なのは「ユーザーの生活が豊かになったか」だと思うのだよね。24時間365日絶えず手元にあるものだから、これが何より大事。その枝葉として細かいスペックがあったり、個人的に欲しい機能が満たされているかだったりというものがある。僕が言う「手に収まる感触」ってのもこの枝葉。人によっては「中に可愛いキャラクターがいること」かもしれない。それを使うことで生活が豊かになるかどうかは人それぞれ。故にモノ作りは難しい。
WILLCOMのHONEY BEEシリーズは作り手側が使われているのを想像してよく作られているなぁと感じてる。スペックよりも感性に訴える、スペックよりも「どう使われるか」をよく考えたプロダクトにして行かないと、日本国内メーカーは厳しいでしょうなと思う。安く大量に作るのはグローバルメーカーの十八番だからねぇ。