大震災

運転制限

もうなんだかね、疲れたよパトラッシュ(無駄にフラグ立てるな)。

つーワケで、11日に発生した東北太平洋地震から1週間以上が経ちました。という訳で、記憶があるうちに振り返り。とりとめとなく書いているので、読み飛ばし推奨。

11日。地震が起きた時は役所で手続きをするために自宅を出た直後。歩きながら違和感を感じたらすげぇ揺れてたってもんで。そんなに大変な事態だとは気付いてなかったな。チャリ引っ張りだして、腹減ったんで飯でも食うかと近所のマクドに行ったら扉閉めて営業してないの。え? って思って実家に電話して、嫁さんからメールが入っててようやくまともに事態を飲み込んだような。

役所での手続きを諦めてコンビニで弁当買って家に帰ってみたら、上の方に置いてあった梅酒(自家製)が落下して割れて床に豪快に漏れてた。んで、仕方ないんでお片付け。他にもものが落ちていたので元に戻す。家に被害はそのくらい。

情報収集、連絡関係はMac立ち上げてTwitterチェックしつつ会社にいる嫁さんとメール。20時過ぎてからはニコ動でNHK見てたかなぁ。風呂に水も貯めてたか。実家方面とはWILLCOM同士なら通話ができたんで、必要な時はそれで連絡。他のキャリアは発信制限掛かったりする中、WILLCOMさんは優秀でございました。

そのうちに親戚関係の無事も確認でき、嫁さんも会社から徒歩で帰宅。事前に確保しておいたお弁当で夕食といたしました。

夜は余震が続いていたこともあって就寝時は洋服のまま。これは今も続いていたり。

12日からはもう記憶があいまい。余震にびくびくしながら、NHKを見てたけど、そのうち見るのもつらくなって、情報はテキストベースで得るように。余震にはだんだん慣れてきたかなぁ。

12日・13日は家で嫁さんとできる限り落ち着いて、家で過ごした。

14日。昼間は11日に棚上げした役所での手続き。夜は帰宅困難者を自宅にて受け入れ。今の僕たちにできることと思って手を挙げたので気遣い無用。

15日。昼はいつもの通院で電車移動。計画停電の影響で電車の運行が微妙だったものの病院最寄り駅までなんとかたどり着き、帰りは違うルートでなんとか帰宅。夜は近所で家飲み。みんなで集まるといいね。なんてしてたら、大きな地震震源地が静岡東部。親戚が住んでいるので、無事を確認する。

計画停電については対象外の地域に住んでいるので、できる限り節電して協力。そういえば、色んなお店が節電モードで営業してたなぁ。まだまだ震災モードやね。

「大丈夫だよ」「原発は専門家にまかせるしかない」と言いながらもじりじり消耗していたなー。今もだけど。

今日(21日)は近所にある、父方の祖父方・祖母方それぞれのお墓をお参りして、墓石なども確認。実家からは「代わりによろしく!」と言われたので父・母の代打ですわね。拙いながらも嫁さんと行って参りましたよ。

そんな感じで一週間ちょっと。ようやく落ち着いてきたような、まだ気が抜けないような。まあ、落ち着いて、自分ができることをやるべきことをやりましょう、ってなことです。